真の自由とは、すべてのことを己の基準でなしうることである――リズと青い鳥感想
題名はミシェル・ド・モンテーニュの格言です。
なんかこの映画の題材的にぴったりだなぁと思いまして。
公開からかなり遅れ馳せましてユナイテッド・シネマ水戸に「リズと青い鳥」がやってきてくれたので見てまいりました。
見終わった所感としては地獄のような映画でしたね。レズのホワイト・アルバム2だよ。でも個人的にみんな公開時に言語化に困惑していたのはあまり自分にはありませんでした。
映画構成序の段階で「一つの楽曲を取り巻く現実と虚構の二人の少女」「どちらがリズでどちらが青い鳥なのか」が提示されていたので、あとはもう「その童話の終わりと同じなのか違うのか」という最後に向かってひたすらディティールを積み上げて積み上げて磨いて描いてるから話としてはシンプルだと思いました。
主題的におそらく主人公であるみぞれはあまり喋らないから台詞も殆どなかったので、本当に彼女のしぐさと彼女が見ているのぞみのしぐさを全編見ることになるんですよね。
みぞれにとってのぞみは、友達以上の好き、離れがたい、おそらくloveの愛してる。のぞみにとってみぞれは、おそらくたまたま付き合いが長い部活の友達というだけで特別でもなんでもない。のぞみ視点からの話だとほんとそんなものだよねこれ。
高坂ちゃんが指摘していたけれど、たまたま同じ学校でたまたま吹部を一緒にしただけでやっぱり本当に「合わない」んだと思いますあの二人。多くの恋愛もので毒されているけど基本的に「好いた相手が同じように好いてくれるとは限らない(とりわけ同性感では)」という前提の存在は大きかった。
個人的に最近つくづく思うんですが他人を見た時相手は異性愛者であるという前提があって、その人を何も知りもしないのに無意識でそう思ってしまうし、自分もそう思われているんですよね、常に。のぞみもそういう目で見ていたんだろうな。適当言いました。
序盤、みぞれから見たのぞみは瑞々しく愛らしい唯一無二の親友として描かれているけれど割とここも認知のゆがみがあって「相手にとっても唯一無二の親友である」という点はみぞれの傲慢さが出てるんですよね。でも別にのぞみにとってそうではない、ということが少しずつ少しずつ描かれていく。
お互いのソロのパートが致命的に合わないのは、おそらくこの段階だとみぞれは自分はリズでありのぞみを手放したく無いと思っているから…というのは見てる人でもわかるように描かれてる範囲で、
そこから更にみぞれが「青い鳥は自分である」知見を得るまでの流れが目を見張りました。
高坂ちゃんと黄前ちゃんが、いつもの練習場所で吹くシーン。(ここ、直前にちゃんと黄前ちゃんがトランペットの吹くやつ洗ってるところで黄坂ちゃんと一緒に映ってたの細かった)この二人の演奏でのぞみとみぞれはどうしたか?みぞれは窓を閉じ拒絶し、のぞみはそれをきちんと聞いた。この拒絶はさすがに一回見た私ではよくわかってませんがリズであることを拒絶したのかなぁ。
黄前ちゃんと高坂ちゃん、おそらく技術的には間違いなく高坂ちゃんの方がうまい。でも二人はなぜ気持ちよく弾けてたんだろう?ということから、みぞれが合わせていたんだ。という勘違いに気付く(あるいは事実?)のぞみ。そして先生からの指摘で自分はリズではなく愛されていた青い鳥だったという思いを抱いて望むあの練習。思わず泣いてしまった。
あの練習で確かにみぞれは愛のために飛び立つ鳥を歌ったのに、その技術力からのぞみは「私に合わせて、我慢していたんだ」という疑念を確信に変えてしまった。そして奇しくもそれを解き放つ演奏をして、奇妙なことにリズと青い鳥は完成してしまった。
いやぁすごいね。地獄だねこれ。
そして最後の理科室(生物室)のシーンからクライマックス。のぞみ自身を愛しているみぞれと、みぞれのオーボエが好きなのぞみ。決定的に噛み合わないことを理解したみぞれは「オーボエを続けるよ」とのぞみが望む自分を演じ続けることを選ぶ。飛び立った振りをして、檻の中に閉じ込められることを選んだみぞれ。それに気づかないのぞみ。
おそらく、映画があそこで終わったということは、本番だろうが今後の練習だろうかもう二度とあそこまで成功した第三楽章は弾けないということだと自分は解釈しています。多分もうみぞれはのぞみに合わせた弾き方に戻るんじゃないかな…
童話と重なった二人の少女は、童話のように美しくお別れしたかのように見えてそうではなく、けれどそれはのぞみが最初にいったようにハッピーエンドなのかもしれない。
でも私はのぞみ、卒業したら間違いなくみぞれを忘れるしみぞれはそれも構わずオーボエを弾き続けてると思うんだよな~~~~
序盤どうしてもみぞれ視点でのぞみを見てるせいですげーひどい女に見えるけど、私はあまりそうは思いません。どちらも悪いし、どちらも悪くない。ただ単に絶望的に相性が悪い。ユーフォ2期でも思いましたけどのぞみはちょっと鈍感すぎるし、みぞれは繊細すぎる。
けれど「本番なんて嫌。練習が、ずっとのぞみと一緒の日々が続けばいい」と呟くみぞれは一つの答えを得て、それでもう生きていけると自分で定めたようなので、外野のぼくたちが言うことはなにもないですね。美しい終わりだと思います。
パンをもらえなかったアライグマは、リズ=のぞみであるとするならパン=イエスの身体、つまり愛の象徴で一人ひとり配っても足りない人は出る、ってことなのかな。適当言ってます。
ここまで一本道をディティールだけで見せて、もはやユーフォという下敷きすらも必要もない映画になってるのは単にすごいなって思いました。適当に書いたからこれからインタビューとか見てきます