「キングスマン」&「キングスマン ゴールデンサークル」感想と考察

ちょうど先週の今頃アマゾンでセールをしていたので映画「キングスマン」をレンタルで見ました。いや、凄いですねこの映画。

 

キングスマン(吹替版)
 


なんか年に2回くらいオタクに流行ってる映画みたいな枠のうちの1つだなって認識してたんですがこんなに自分がハマると思わなかった。
んで昨日日曜日に続編「キングスマン ゴールデンサークル」見てきました。いやぁめっちゃ面白かった。結構Twitterだと駄作だとか話が荒いとかあったけど個人的に好きです。というか、一作目をああ描いた上で二作目そういう風に描くっていうのがすごい好き。

その辺の話をちょっと踏み込んで感想書きたいんですが、見ての通りキングスマンいちねんせい且つスパイ映画はマジでスパイキッズしか見たこと無いのでその辺は伝聞です。この映画を見て007がスパイ映画って知ったわ。そんな程度の知識ですがお手柔らかにお願いします…。


1.「キングスマン」で描かれていたテーマ

 

かなり直球に描かれているから言うまでも無いですが「真の気高さとは、紳士とは」「勧善懲悪、世界を救うスパイヒーロー」「スラムの不幸な若者が紳士に成功するサクセスストーリー」あたりだと思うんですよね。
個人的にはガゼルさんの戦闘シーンが好きで何回もそこだけ再生して見てました。
人類を間引くぞ!!ってわかりやすくスケールのでかい世界の敵を倒す大義名分の為に戦ってました。だからこそ二作目であるゴールデンサークルの描き方が一作目ファンに不評だったんですかね。いや憶測なんですけど。
私は007を存じ上げないのでアレなんですが、作中の会話からして007等の古くて夢があるスパイ映画への回帰を示唆、ポストモダン的な立ち位置の映画であるようです。そこも二作目に繋がりますね。

 

 

2.「キングスマン ゴールデンサークル」で描かれていたテーマ性


細かいシーンは目をつぶり、あえて全体構成から描かれていたテーマ性を考えます。
「エグジーとハリーの師弟の絆(ブロマンス)」
「人間が常に与え尚且つ享受する罪や罰」
「エージェントの人間としての幸せ」
主にこの3つを軸に書いてきたいと思います。

 

3.エグジーとハリーの師弟の絆(ブロマンス)

 

たぶんこれが二次創作っぽい!って言われる所以なんだろうな。
一作目だとあくまでエグジーにキッカケを与えた存在としか描かれていないので、それ以降の描写はほぼないし実際一緒に過ごした時間って描かれている以外だと24時間しかないでしょうし下手したらチャーリーたちの方が多いんですよね…。

二作目では記憶喪失のハリーと、復帰して衰えのある(ように描かれた)ハリーへの不信などのエグジー側の心の交流がメインで描かれてますよね。
ウイスキーを撃ったことへの不信感や、それでもハリーを信じたい信じようとする飛行機での会話(この辺ちょっとうろ覚えですいません)
あの戦いを終えてハリーとエグジーはただの師弟から真に戦友(と書いてともと読む)になれたんだと思います。
「俺を蝶の標本にしてくれよ」はもはやプロポーズに近いんじゃないんですかね。自分はその手の話はよくわからないんですけど、無印でもうちょっと交流して欲しいなぁと思ってた箇所が見れてよかったです。

 

4.エージェントの人間としての幸せ

 

まずは今回のヴィランであるポピーちゃんから。
ポピーちゃん、やり手のドラッグカルテルの女社長だけれどもドラッグは多くの国で違法でありカンボジアの奥地で生活して「私、ホームシックなの」と言いながらおそらく自分の子供の頃?若い頃?の故郷を模したポピーランドで暮らしている。
彼女は表舞台で成功者として名を馳せたい。だからあんなとんでもない方法で9億(だよね?)を人質に取って一躍名をあげようとした。

冷酷非道な上、人間は信用出来ないからロボットがいい。と言う彼女ですけど最後の一言が「私を抱きしめて」だったことと、実は彼女もドラッグをやっていたことからポピーちゃん、奥底では人間に飢えていたのは見てとれるでしょう。
冷徹で人を殺すことを厭わない一面と、奥底で人に飢えている寂しい一面。
この人間の二面性、味方側にも色濃く描かれてましたよね。


前作ではどんなことがあっても表情を崩さなかったマーリンが泣き上戸で自分の好きなものを披露するところ。
前作で聞かれても答えなかった、エージェント以前の姿を不本意ながら見せたハリー。
テキーラ優秀なエージェントだけれどもドラッグに手を出してしまうし、ウイスキーは…後述。

 

エグジーは特にエージェントガラハッドである自分とエグジーである自分の生活や人間関係に揺れていました。いや、ていうか王女とデキてるとは思わなかった。
「女とセックスしたら救えるの?」はボンドガールとセックスして世界を救う007への皮肉らしいんですが、一作目で007への回帰を示唆したのにこのシーンではそれを明確に否定しています。エージェントの人間性の肯定が2作目のテーマなのかな…。

もう1つ。ポピーの「ホームシックなの」の台詞やマーリン、王女の台詞に家や故郷が頻出しています。行って帰って来る、というのはまあ古来世界中から物語原型の基本なわけです。イシュタルの冥界下りやヘラクレスの栄光イザナギの冥界下り等々。もうありふれたテーマなわけで。
ですがそれはそもそも帰る場所がある(=待ってくれる人がいる)という前提が存在します。
映画の初っ端でキングスマンたちは帰る家を失います。帰る家がある、というのはおそらくこの映画でいう人間としての幸せの描写に繋がっているのかなと自分は思いました。
死ぬ間際にその人間としての幸せが無いことに気付いたハリー、新たな帰る場所ができようとしているのにそれが壊されようとしているエグジー、そしてマーリン。

マーリンのカントリーロードもうめっちゃ何回も聞いてるんですが、彼はあの局面でカントリーロードを歌い上げて「自分の故郷とはキングスマンのサポートをする場所であり、ハリーとエグジーがいる今ここが俺の故郷だ!帰るべき場所だ!」という主張なんですよね。ハァーかっけえ。ハゲかっこよすぎる。お前は世界一かっこいいハゲだよ。


5.人間が常に与え尚且つ享受する罪や罰


そして今回のラスボス、ウイスキー。上のちょっと冴えない描かれ方をしたキングスマン連中と違って頑なに私人としての一面を出さなかったウイスキー
ウイスキーはドラッグジャンキーに嫁さんを殺されてしまいました。エージェントに私人としての事情を持ち込んで目的のため二重スパイになった。
この愛するものを失ったウイスキーの姿は、ある意味エグジーがなり得る姿のひとつなわけです。まさに王女を失いかけているし、今後大切な人をそういう風に失う可能性もある。
エグジーの影法師としてのウイスキー。気づいた時なるほど~となりました。

 

更に今回聖書的なテーマとして罪を負った人間とその報いが描かれてましたね。自分はまだ聖書お勉強中じゃないのでアレなんですが、本当に罪のない人間はいるのか?という。イエス・キリストの有名なエピソード(ここでは割愛します)
ポピーちゃんいわく砂糖はドラッグの何倍も依存性があるのに法律違反ではない(なのにドラッグが法律違反なのはおかしいよね?)という主張
法律は人間が決め、人間が法律に従います。今まで1つも罪を犯したことは無いと思います。では罪を犯した人間は他人の罪を指摘してはいけないのか?といえば違いますし。
この辺の罪と罰、人間の善悪観念は難しいからちょっと二回目見てから追記出来れば…。
ポピーランドではミンチやポピーバーガーが罪の象徴として描かれており、ベジタリアンらしいポピーちゃんはすげえ性格悪いけどその理屈だと肉食をせず砂糖より依存性の低いドラッグでビジネスをしている自分はもしかしたら世界で唯一罪の無い人間と思ってるんじゃないかな…。

キングスマンのエージェントたちも超法規的存在で正義を成しているけれど、たくさん人は殺してきたわけで、唯一エグジーが私情を込めて殺したのがチャーリーであって、その後のウイスキーは世界の敵として殺しているようでした。
あり得るかもしれない大切なものを失った男を、今自分がそうなろうとしている私人であるということではなく超法規的な公人として殺す。
怖い描き方だなぁと思います。

最後華々しく結婚式をして、私人としても成功したエグジーですけども罪と罰やエージェントの公私の是非、はっきり言って明確な答えは出されていない。前者はもう出しようが無いっていうのはあるけど。
別にそれをこちらに投げかけているという描き方でも無いから若干モヤモヤが残るのかな…エージェントも人間である、という部分に踏み込んで1作目と方向を180度変えてるから私はゴールデンサークルの全体構成、好きですね。三作目楽しみです。

 

…でもやっぱりこの映画通して味方の死に方が雑だよな~!!
マーリン好きだったから悲しい…カットされたシーンだと生きてるらしいから三作目に期待します。
スパイの裏表を書いた上で三作目どこに踏み込んでくんだろうね…。

グダグダですが見て頂きありがとうございました。久々に実写にハマってしまったわ。