デス・ストランディングが面白すぎて小島監督の才能にひれ伏した[ネタバレなし]

どうもお久しぶりです、よるとりです。

唐突ですが皆さん、最近「絆」感じてますか?

私は最近、DL版を買った「ラストオブアス」の存在をすっかり忘れてソフト版を買ってしまい自分のアホさに打ちひしがれていた際に、「処分に困ってるなら、買った価格で引き取るけど……」と声をかけてくれた人が3人もいたことです。ありがたすぎて泣きました。

うん、この話絆っていうか私のどうしようもなさの話にしかならないな。

 

評判はいろいろ聞き及んでいたんですがプレイできていなかった「デス・ストランディング」のPS4版を購入してプレイしています。

ちなみに初小島監督のゲームはアーカイブメタルギアソリッドを超超冒頭でぶん投げました。なのでこれがほぼ初です。

 

 

いやまじでめ~~~~~~~っちゃ面白いですこのゲーム。

 

 

十三機兵防衛圏発売時は「いやまじ十年に一本の怪作なのにみんな赤ん坊あやしてウーバーイーツしてる……許せねえよ……」とか思ってたんですが、実際やってみるといやこれは仕方ないです。こっち先に始めたらもうほかのゲーム触るのとか考えられない。

 

デスストが面白い理由なんですがまず第一にお話とシステムの没入感が段違いであるということが挙げられると思いました。

細かいあらすじは公式サイトを見てほしいんですが、特殊能力を持った主人公がポストアポカリプス的な世界でバラバラになってしまった都市と都市、人と人、ひいては国を結びつけるために配達をするという話です。

 

個人的にオープンワールドのゲームをやって気になる部分が移動と自由度の高さでして。ブレワイをプレイしたとき、とにかく移動が苦痛だったのと自由度が高すぎて何をやればいいの?????と悩んでしまうので、オープンワールド向いてないなって。

でもデスストは主目的が「配送」なので、移動自体がゲームの目的になるんですよね。基本的にすべての移動に理由をつけられるので、ブレワイの時に感じた苦痛がほぼ皆無です。スゴイ。

 

自由度に関してはこの手のゲームにしてはやれる事が少ない……かもしれません、いやそもそもオープンワールドそんなプレイしないからわからない。

逆にいえば、やる事を「配達」に一本化しているので中毒性があがってるといいますか、やり込みがいはあるのかなとも思います。

 

あとこのゲームがスゴイって思うのは「とにかくめちゃくちゃ褒めてくれる」ことです。

「荷物の状態は……すごいわ!こんなにきれいな状態初めて見た」「荷物を確認させてもらうよ。ほぼ完璧の状態だ。すごいな、どうやって運んだんだ?」「ありがとう、サム」「あなたの事は一生忘れません。ありがとうサム」

とにかくめちゃくちゃ褒めて貰えます。

 

 

 人間、ありがとうと言われるのはとても気持ち良いことです。褒められることもとても気持ち良いことです。ゲームが楽しいのは、仕組みとしてプレイヤーをひたすら褒める作りをしているからに他ならないわけで。

しかしながらこうしてNPCに感謝をされまくるゲームというのは、なかなかプレイしたこと無いです。

 

 

このゲーム、ウーバーイーツとか国道建設とかキラキラした部分ばかりバズってましたが実態はかなりハードな近未来SFなので、展開も割とハードなものが多い(連れている赤ん坊が実は装備品として廃棄される寸前だったなど)、そのギャップが「ありがとう」をじんわり重く暖かなものにしています。いいゲームの作りだ。

 

私は「P.T.」はプレイできていないためプレイ動画だけ見たクチすが(悲しい。プレイしたい)コントローラーを赤ん坊に見立てて赤ん坊をあやす、コントローラーのスピーカーから聞こえてくる赤ん坊の声、ノーマンリーダスやギレルモデル・トロなどの俳優陣等、「P.T.」を思わせる部分が少なくないなと感じました。

 

古巣だったKONAMIを離れた小島監督が何を思い「繋がる」ことをテーマとしたのか、妄想の粋でしかありませんが多数の困難があったでしょうに、こうして温もりにあふれるテーマの、素晴らしいゲームをこうして発売することに至ったのは掛け替えが無い事ですよね。本当に。ありがとうございます。

完全にハマってしまったのでメタルギアソリッドシリーズもナンバリングはやろうと思います。

 

 

本当はもっと早くこの記事書こうと思ったんですけど、記事書く時間すらもデスストの時間にぶち込んでたので普通にだいぶ経ちました。

 

PC版も今月出るらしいから絶対やったほうがいいよ。

ミッドサマーをなるべく真面目に考える―最後の笑顔はざまーみろの笑顔ではなかったんじゃね?―

どうもよるとりです。ハッピーミッドサマー。

公開日のレイトで即即見に行きました。
これ大喜利始まる前に書きたかったな。
それにしても尻が痛い映画だった。
へレディタリーのネタバレとかも入ってるから最低でもへレディタリーとミッドサマーは見てくださいね。

 


自然豊かな北欧×おどろおどろしい奇祭の出会い

 

やっぱりこの映画の座組の時点で「勝ってるなぁ」と思うのはここです。
金田一とか人身御供とか……はっきり言って奇祭を日本人は見慣れてますけど、キリスト教徒が多いであろう(今はそうでもないのか?わからん)アメリカではさぞかしインパクトが強いでしょう。もうポルノハブで「エロティック 北欧美女」とか検索できないんじゃないでしょうか。
北欧と奇祭については「ウィッカーマン」という映画がオマージュされているそうなので、機会を作って見てみたいところではあります。


アリアスター監督の恐怖演出について


自分はショートフィルムの方は全部見れておらず、「へレディタリー/継承」と「The Strange Thing About the Johnsons」のみ見ています。

「The Strange Thing About the Johnsons」については、面白がっちゃいけないんですけど親子のゲ○レイプと逆シャイニングパロが面白いしyoutubeで見れるから見てきてほしい。


へレディタリーは特にそうなんですが、現実ではありえないカメラワークを使って恐怖演出をするのがこの監督、うまいですよね。へレディタリーは冒頭シーンからぐにょ~~~~~~んとミニチュアサイズの家にアップしていって、それが主人公たちの家で……という異常な俯瞰を用いたカメラワークは、後半実はパイモンの玩具でしたという真相にも繋がる演出にもなっております。とにかくこのカメラワークが気持ち悪い。

 

似た演出がミッドサマーにもありまして、ヘルシングランドに行く途中の車で地面に対して扇状にカメラが動いてぐにょ~~~~~~んと最終的に上下反転して車を映す演出が兎に角不安を煽ります。今まで見たことない不安の煽り方をしてくるんだよな。

 

また、光についてもへレディタリーではパイモンを表現する恐怖演出でも用いられています。廊下をすーーーっと照らす光とか。今回では逆に暗闇をほとんど作らない、というある意味斜め上の光の使い方をしてきます。
ただ、冒頭の家族の無理心中自殺シーンで扉から漏れ出る怪しげな光はまさにへレディタリーの使い方なので、やっぱこういうのもうまいね。

 

ホルガについて


カルト映画にしては本当にこの辺の作り込みが凄いです。それがこの映画をただのカルト映画ではないものにしているんでしょうね。
舞台美術の絵画から、服、壁、ありとあらゆる物、そこらじゅうを彩るルーン文字。とにかく情報量が多いので、自分も感想を見ていてから気付いたものも多いです。特に冒頭シーン関連。
架空の村ですが、「姥捨て山的な崖」とか「血の鷲」とか微妙にちゃんと実際にあの文化圏であった儀式を用いてるの、質悪いなって……。
(血の鷲は誤訳で本当はやっていなかったのではないかという説もあるそうだが)

 

ホルガに生きる人はホルガの善とホルガの悪ので生きている人たちなので正直映画で書かれてる以上に言及する事はあんまりないですね。はい。

 

主人公と大学生たちについて


アリアスター監督は自分の辛い出来事を昇華させるために作品を作っている、という背景を自ら語っています。
今回は「失恋したからこの作品を作った」という発言がされており、一見してダニー=アリアスター監督、最後は自分の事を理解してくれない彼氏とサヨナラしてニッコリ!というエンディングに見えますよね。
個人的になんの根拠もないですがダニーだけではなくクリスチャンも監督のパーソナリティーの一部を持っているのではないか、とも思います。これはマジ確証もなにもないです。

 

正直、これでもかとクリスチャンが悪者に描かれていますが(実際クリスチャンはクソムーブするけど)ダニーも大概にクソ女として描かれてる気がします。
まず大前提としてダニー、彼女が頼るべきは彼氏じゃないですよね。普段から眠れないならまず薬を飲むべきだし(冒頭では飲んでたけど)そもそもなんで旅行に行くのに自分の睡眠薬持ってないんだよ!!
家族の自殺があった冬から最低半年もあったのならば、例えばへレディタリーのママのようにグループセラピーに通う時間もあったはずです。行ってる設定なのかもしれないけども。
いくつか知らんけど良い年ならきちんとメンヘラ脱却するべきなんですよ……これはメンヘラの自虐と自省を込めています!はい!

 

何が言いたいかというと、この映画ダニーに視線を寄せすぎると見えるもん見えなくなるよね、という話です。

他3人については、ジョッシュは博士号なら必死になるのまあわかるしマークは……もうちょっと存在感欲しい……クリスチャンは、概ね微妙なキャラですが妙に手触りのあるクソさがいいですね。「あんたも私のこと置いてきそうだよね」と手触りのあるクソ女するダニーとお似合いです。日本人には割れ蓋に綴蓋というすばらしいことわざがある。多分それ。

 

ラストについて思うこと


まず、ダニーの笑顔について。
ダニーは最後に村の人間とクリスチャンを天秤にかけ、生贄にクリスチャンを選びます。これは村の人間に後押しされたダニーが、自分のことを捨てて女とセックスした報いよ!!ざまあみろ!!といった笑顔なのではないか、というのが現状通説ですが、色々考えていてちょっと違うかもなーと思ったので書いておきます。

 

(メイクイーンのその後についてはさておき)ダニーはあの後、ホルガで望まれた役割をこなして幸せに生きていくのだと思います。ダニーは儀式以降、殆どセリフが無くなりますよね。そのせいで心情が見えなくなっていくので、これは割と意図的なものなのかなぁと思います。

 

さてさて先程の通説だとダニーは、中途半端に俗世の世界観を持ったままホルガに迎合したということになるわけです。自分はちょっとそれ違うんじゃないかなと思うわけです。ダニーが悩み、求めていた傷口を埋めてくれたホルガというコミューンは、そんな程度のものじゃないはずです。あれだけの悲しみを背負ったダニーにとって、ホルガは第二の家族で、世俗の価値観なんて不要になるわけですよ。

 

ホルガにとって、大祝祭のフィナーレを飾る生贄は大変有意義なことです。志願した二人も大変名誉だと言われています。つまりは、ホルガのコミューンの一人として、好意を持ってクリスチャンを生贄として選んだという可能性です。
理由として色々考えられますが、クリスチャンはマヤと契り、閉鎖されて近親相姦の危険がある村の中で貴重な外の種を齎した男です。散々ああして泣いた後、ホルガの一員になるならあの儀式を肯定する必要があるはずです。肯定して、彼を好意的に生贄に選んだ。こうとも考えられないでしょうか。
(あくまで一回通して見たきりの私の考えなので違うかもしれないです!!)

 

あの笑顔は、一度は恋人だった男がホルガに命を返したことにホルガの一員として満足した笑顔じゃないのか、という話です。

 

 

二つ目は最後に捧げられたイングマールたちの慟哭。
これも通説としてはホルガを通じて今まで自分が信じていたものが嘘だった事に気付いたのでは?という慟哭とされているんですが、ホルガの一員として生まれ変わるダニーの前振りとしてこれをいれる意図ってなんでしょうね~と色々考えました。
でもアリアスター監督はかなりホルガを作り込んで考えていたようなので、別にホルガを悪だとは描いてないんですよねえ。
何より彼ら彼女らは幸せだしあの共同体が解決すべき問題なんて描かれてないんですよ(大量移民反対とかは書いてあるみたいだけど)
ところが私達の共同体は、自治体、都道府県、会社、国、家族、いろいろ単位を切り分けても何かしらの問題点はあるわけです。でもホルガにはない。ホルガは、劣った社会なのか?という問い掛けでもあるんじゃないかなと。

 

別に私たちだって共同体を勝手に信じて期待している部分はあるし……何よりホルガは「決められた役割をこなせば一員として認められる」という部分は別に今の社会もなんら変わらないですからね。
別に誰が誰の為に今の共同体を作っているかはどうでもいい、大事なのはどの嘘を「本物」として自分が信じるか。
イングマールたちの慟哭とダニーの笑顔、セットで存在するのはそういった意図が若干あるのかなぁ~~~~と思いました。はい。
(これ、適当に無宗教な日本人だからそう思えるかもだけど信心深い方から見たら変わるのかもしれない。わからん)

 

トリック私も好きだしネタとして絡めて楽しいのはわかるけど、お話の起点終点はダニーとクリスチャンの二人なわけだし、もう少しそっちも見てほしいですねぇ!以上!
なんか思い出したら追記します。

遅ればせながら十三機兵防衛圏クリアしました(ネタバレなし感想)

十三機兵防衛圏をプレイしてください。

今ならまだ店頭に先着特典つきのパッケージ版が買えるところもあります。

十三機兵防衛圏をプレイしてください。

 
二ヶ月遅れて何言ってるんだお前とも言われそうですが、どうもこんにちは。よるとりです。
ようやく世間をにわかに騒がせているPS4ゲーム「十三機兵防衛圏」をプレイ、クリアした。
 

2019年ありがとうございました

今年もそこそこ記事を書きましたが結局書けてない記事がいくつかあるので正月休みのうちに消化したいと思います。

 

来年もよろしくお願いします。