「天気の子」で監督が言いたかったことのエネルギッシュさが好き

チッスよるとりです。金曜の深夜に見てうだうだと下書き書いてたら保存していなかったらしく、消し飛んでたからもう本題だけ書きます。

 

 

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「天気の子」公式サイトより

 

夏美さんがエッチでかわいいとか、東京の瑞々しい景色が好きだとか、いろいろ書いていたら吹っ飛んでいたのはもう神様が「んなもんいいからはよ本題書けダボ!」と言ってるんだと認識しておきます。

 

なかなか凄いところで人によっては途切れるように物語が終わるのでポカンとする人もいなくはないかなと思います。あと自分は見た時はあまりセカイ系だとかエロゲだとかは思わなかったです。むしろ、さらざんまいの最終回を思い出した。

 

アニメ映画というのは幅広い層に受けてますがとりわけ10代と20代の支持がアツいジャンルだと思います。前作「君の名は。」の公開当初は映画を見に来た7割のお客が10代20代だったそうで。*1*1

その若者がターゲットだとして、監督は何が言いたかったんだろうなぁと思うと最後15分とかにギュッと詰められていますよね。

 

8月まで一週間切っても明けない梅雨、豪雨、消費税、不景気、今はもう「昔はよかった」という人すらくたばっていって聞くのも久しくなりました。ざっくり区分して平成生まれにとって、すでに好景気は過ぎ去ったものどころか味わったこともない。気づいたら今がこうだから、ただそれを享受して生きているわけですよ。

そんな中で「君たちは未来を担う存在だ」とギチギチに教育を詰め込まれ、クソ重い児童虐待レベルの数キロランドセルをしょって学校に行って塾に行って受験、就職、夢も希望もない時代、ただ生きていくのがやっとの息苦しい世の中。

 

でもそれは子供たちや私達若者のせいじゃあないんですよね。なんか勝手になっていたし、別にそれに責任を負う必要はないんですよ。

作中で須賀の死んだ嫁の母親が「今の子はかわいそうね。昔は春も夏も素敵な季節だったのに、息苦しい」みたいなセリフがありましたが、その直後のシーンでは穂高は東京の雲間から覗くお日様を見て微笑みます。このお婆さんの言うように、穂高は可哀想ですか?私は全くそうは思いませんでした

 

 

人柱となって消えた陽菜さんを取り戻して、世界は狂い雨が止まらず東京は沈んだ。

でも、別にこれ状況証拠的に穂高と視聴者がそう判断しているだけで別に陽菜さんが消えなくても世界は狂っていたとも言えるんじゃないかと思います。母親と能力の話がどこまで掘り下げられているか関連商品手出してないのでわかりませんが…。というか陽菜さん消えたあとの天気も8月とは言えあの日照りはヤバすぎるでしょ。

晴れ女が巫女なのか、巫女が人柱なのか、本当に人柱を捧げれば天気は「元通り」になったのか、そもそも元通りって何なのか、全て全てそれこそオカルトで、状況証拠だけ。不確定。

 

だからそもそも「世界の形を決定的に変えてしまったんだ」という穂高の認識ですら、エゴイズムでしかないと私は認識しています。

だから、少年が世界を捨てて少女を手にとった話、とセカイ系へのアンチテーゼだけがこの作品では無いのかなと思います。状況証拠があるんだからそれはないだろ!と言いつつ、これを裏付ける描写はちらほらあるわけで。

 

「世界はもうとっくの昔に狂っている」「東京はもともと海だったから、元に戻っただけ」

 

フォローでもなんでもなく、天気、自然のあり方ってもともとそうなわけです。別に誰のせいでもない、少なくとも穂高と陽菜という二人の少年少女の肩に乗る責任ではない

 

そんな世界でも、屋形船で移動する人たち、土砂降りの雨の中「お花見楽しみだね!」と語る人々。人間、慣れてしまう。そりゃそうですよ。異常が普通になってしまう。

ある意味、震災という日本全体の共通の大災害体験を「君の名は。」としてエンタメとして消化したからこそ訪れた「災害の先に当たり前となってしまった風景」の描き方ですよね。ああ、もう地震から7年?8年?も経ってしまったんだなぁと。

 

これからのあの東京は水の都なのが当たり前になっていくし、人間あっという間に順応していく。今、大変な時代だけど「世界とか、そんなことよりも、目の前に大切な人と一緒にいられることが素晴らしい。それだけで良いのだ」と結論付けたラストシーンだと思います。まだお祈りしてる陽菜さんとか、神々しすぎる……。

陽菜を追いかけてたヤクザすら子供をかわいがっているシーンがあったことから、大切な人とともにいれば困難を切り抜けられる……散々指摘されていますけど「weather with you」というタイトルに繋がるんでしょうね。困難と天気をかけてこのメッセージ性を内包しているのめっちゃいいな。

 

 

3ヶ月後に増税してるし、来年は東京オリンピックだし、夏はクソ暑いし、

なんかもうどうしようもないけどこの映画を、なんなら大切な人と見れたらいいですよね。私はぜひ中高生カップルに見てほしいよ。

エロゲっぽいエロゲっぽいという文脈はさておき、刹那性を突き抜けて前へ踏み出していくエネルギッシュさ。出来の良さで言えば間違いなく「君の名は。」のほうが好きなんですけど、監督が今のぐずぐずした世の中見てこれを楔として令和元年にブチ込んだというのは、たまらなく最高ですね。

 

つまるところ、こっ恥ずかしい話になるが、私たち一人一人が穂高であり、陽菜である。今を生きて、困難な時代を生きていかなければならない。でも決して一人じゃない。須賀や夏美さん、凪先輩がいたように、一人ではないはずだ。

 

大切な人がいればどうにかなるよ、ここまで突き抜けすぎて楽観的と悲観的が同一化した結論もなかなか無い気がする。三葉と瀧くんの写真とか見損ねたからもう一回見に行ってもいいなと思う。

 

かなり適当ぶっこいてるから違ったらごめんなさい。では。