-命もないのに、殺し合う。-ニーア:オートマタ感想その1(A~Eエンドまで、他未読)

こんにちは、よるとりです。パッションリップが引けました。嬉しい。

ニーアオートマタ発売二周年、及びヨルハエディションの発売おめでとうございます。
ちょっと変なゲームに詳しい人ならこのゲームのディレクターであるヨコオタロウ氏の名前は「東京タワーにドラゴン刺した人」とか「鬼畜音ゲーやらないとエンディング見れないゲーム作った人」なんかで悪名高いと思います。そんなヨコオタロウ氏のコンシューマーゲーム最新作ニーアオートマタ、なんと150万出荷を達成したようで「あの問題児ゲームシリーズが…?」と疑念でいっぱいでした。


私がヨコオタロウ氏の関わるゲームに触れたのはおよそ8年ほど前になるのですが、この2年はなかなか資金難で(まあ留年してたせいが殆どですが…)PS4を買えていなくて、今の今までプレイ出来ていませんでした。
ようやく今年の1月に購入出来たので、廉価版であるヨルハエディションを待ってようやくプレイしAからEエンドを見終えたので資料集等を見る前に書き留めておきます。

 

P5もなんですが、二年もさすがに立つのでネタバレを踏んでも致し方ないというところはあったものの意外とネタバレ踏まずにゲームが出来ました。
そもそも特大級のネタバレってあったっけ…?みたいなところはあるんですけどね、ニーアレプリカントのようにA最後のどんでん返し的な要素は薄くドラマティックさが強いから多少のネタバレは屁でもないゲームでもあると思います。

思えば数年前のE3で初めてコンセプトアートを披露したとき私はリアルタイムにカンファレンス見てたんですが、まさかあの時のゲームが今こんなに世の人に愛されてる作品になるとは思いませんでした。スクエニの優等生ですってツラしてるけど、これ10年くらい前にドラゴンを東京タワーに刺したゲームの続編がこうなったなんて言っても誰も信じないでしょって思います。対魔忍が十周年とかFateが大躍進とかと同じで誰も信じないよね……。


アクション面、システム面


クソのどうでもいいですが私は神谷英樹氏のゲームがとても好きで、高校時代PS3と一緒に買って初めてプレイしたPS3ゲームはベヨネッタです。なので、初報でシリーズにプラチナゲームズさんが関わってくれるのは本当に嬉しかったです。
これまでのシリーズはすべてアクションRPGなんですが、どれもお世辞にもアクション面が褒められる出来のものは……という状態で、ニーアレプリカントに関しては弾幕やシューティングになる試みは良かったんですが特段してそこを推し出せるほどの出来かといえばNOです。DOD3なんかもう言わずもがなです。今日も給料日。

 

アクションゲーム前代未聞のオート機能搭載で、こんなに楽していいんですか!?と驚愕しっぱなしですがオートの度合いを選べるのはこれはすごい便利ですね。
私はアクションゲーム好きですが下手くそさに自信があったので、イージーにしてポッドのみオートにしてプレイしていましたが下手くそすぎてAエンドラストのイヴ戦の最後らへんは死にまくりました。9Sに交代してからはほぼオートにした敗北者なんですが便利すぎるので許して欲しい。

 

下手くそな自分でも適当にガチャガチャしてれば美少女がそれっぽく戦ってくれますが、難易度を上げたい人にも対応しているのですごいですね、やっぱり150万本出荷の数字の実績、こういうものの積み重ねなんだと思います。150万人アクション上手いわけではない。

今作はオープンワールドゲームでしたがいい感じに廃墟探索の趣があってよかったですね、ただ多分私はBotWやっても思いましたがオープンワールドの移動が割と苦痛なので中盤大穴出来て移動するたびキレてました。クソのどうでもいいですね。


ヨコオ氏のゲームは鬱ばっか取り上げられますが、ゲームというものに対しての物語、体験の落とし込み方への上手さがやっぱり他のゲームを見回していてもズバ抜けています。
ゲーム冒頭、ベッドから目覚める2Bに対してコンフィグ画面から始まる演出。そしてその様子は録画されていて9Sサイドで流れるという細かさ。
ゲーム中EMP攻撃を受けた時にデバフがかかるんですがそれが視覚情報、聴覚情報としてプレイヤーにもフィードバッグされるのは、これが初ってわけではないですが前述の項目といい細やかな拘りを感じる点です。

 

ゲームというのは基本的に、主人公というアバターを通してゲーム内の情報を知っていくわけですが、主人公が2BだけだったAエンドに対して以降は9S、2Aと動かせるキャラが増えていく過程で
当然ながら主人公が変わると自然とその情報は共有されないわけで、それを利用したのがいわゆる群像劇という手法になるのですが、今作は「情報共有しない」という部分が妙に重要で
例えば9Sが知り得た情報を共有しようと思えば出来たのにしなかった、A2もウイルスに侵された2Bの介錯をしただけだとか弁解をしようと思えば出来たのにしなかった、うまく言えないですがそれを見ているのはこの世界の統括者とプレイヤーしかいないのが、こう………
それ関連だと終盤シームレスで9Sと2Bの戦闘が切り替わるのが凄くいいな~ってなりました。

 

A,Bエンド

 

Bエンド終わって予告流れて知らないシーンだらけで「これただのニーア少年編じゃねーかよぉ!!」って気づいてめっちゃ笑いました。
サブクエストもぼちぼちやっていたんですが二周目からはだいぶ胸糞悪い話が増えてよかったですね。森の墓守を殺すミッションとか、E型ヨルハの話が出るやつとかうわっヨコオだ…実家のような安心感!E型ヨルハは後々にも通じるみたいだったので見ておいてよかった。
9S、ハッキングを通して何かをするミッションが多いので哲学ロボのイベントとかでみるみる感応していくのあまりにも前振りがでかすぎると笑ってたら案の定で笑いました。

 

C,Dエンド


ぜんぜんA2の出番なかったけどなんでなんだ?って思ったら2Bが死んでア~ハイハイ…となりましたが2B、見た目もキャラもずっと好きだったので割とショックでした。悲しい。
9S、2Bが死んでもう見る見るうちに病んでいくのでノマ好きの私は「そんなに2B好きだったの?感情大きすぎない?」とちょっと嬉しかったんですが、Dエンド見る限りマジで感情が大きかった。
2B弔いイベントもドッグタグ渡したところで終わらず、アレ?ってなってたんですがほんと泣いてしまった。苦゛し゛い゛。


敵機械生命体の名前についてもここの「コウシ」でようやく元ネタを理解しました。哲学者とかやなとこから持ってくるなこのゲームはさ~
美少女の声を中田譲治がやっている……という話はちらっと中田さんのツイートだかで見ていたんですが、機械生命体の神とか統合思念体…でいいのかな?あれは。

 

私はDエンドから見たんですが最後のノベルでの9Sの独白が本当に苦しい……。
孤独なアンドロイドで、例え何度自分を殺しても、殺すためにそばにいる人間を愛する/恋をするの、あまりにも「壊れた世界の愛」すぎるんだよな。
「なんでこんなに人間が恋しいんだ!人間に触れたくなるんだ!」という叫びと、2Bの義体と触れ合う9Sが痛々しすぎてヨコオタロウ、人間の心がない。

Cエンド側で2Bも少なからず思っていたこと、憎しみをもって戦い続けたA2の優しい側面。あまりA2のことはよくわからないのですが、誰かを救うことで彼女も救われたんでしょうかね。

 

Eエンド


この作品がヨコオタロウ「君の名は」といわれる所以。
ポッドがプレイヤーに対して「この終わりで満足出来るのか?」と問いかけ、満足できないのならスタッフを全員壊していけ!という笑っちゃうような仕様。
しかも死ぬ度にポッドは無意味か?と問いかけ、どこか顔も知らない他のユーザーの応援メッセージが表示されあまりにも死にすぎると無限に応援がやってくる親切仕様。ゲーム設計としても感情のデザインとしても優しすぎる。なんですかこれ。涙で画面見えねーじゃねーか。


どっちにしろ下手くそなので無限残機状態でクリアしました。どのような実現可能技術があったのか知れませんが、主人公三人は祈りの言葉と共に息を吹き返す。これまでのヨコオタロウ氏のゲームじゃ絶対拝めなかったですね、すごい。


ヨコオゲー信者だったら「こんなのヨコオタロウじゃない!角が取れた!フンガー」とか言うんでしょうか。クソのどうでもいい話ですがうちの姉は新海誠信者なので「君の名は神映画。あそこですれ違って終わるから(脳内でラストを改変してこれまでの新海誠作品と同じように扱っている)」とか未だに言っています。
私はといえば、やはりあれだけの叫びや願いを見て無慈悲にこれまでこうだから……と押しつぶすことのおこがましさも感じつつ、ノマカプ好きとして二人が生き永らえてくれるなら……という気持ちもあり、Eエンドの存在にはやっぱり感謝しています。人間の心あるんじゃんヨコオタロウ(本記事においてあまりにもディレクターの扱いが悪いことにお詫び申し上げます)


総括


本作品は言ってしまえばポストアポカリプスものの生きる意味を問う作品なのですが、それはゲーム内枠のアンドロイド/機械生命体たちの話であってプレイヤーサイドから見た視点では概ねアンドロイドは電気羊の夢を見るか?に尽きると思います。ド王道のSFだからこそ世界中の人にウケたんでしょうかね。タイトル引用しつつ読んだことが無くてごめんなさい。今度読みます。

 

プレイヤーは主人公のヨルハたちを通して、機械生命体とアンドロイド、そして人間との違いはなんなのか?ということを嫌という程見せつけられるわけです。論理的に思考し、ときに論理ではなく感情に囚われ、憎しみ、愛し、涙する。そこまで出来るのに、彼/彼女たちは人間ではないのか?生きてはいないのか?単に物なのか?ということを暗に示しています。作中内で答えは出ていませんが、これをプレイした人はほぼ間違いなく考えるでしょう。

 

人を愛するのも「そうデザインされたから」罪悪感を覚えるのも「そうデザインされたから」作った人間にとって、至極都合よくデザインされているというのはアンドロイドたちの受難かもしれないのですが、別にこれ人間だって変わらないといいますか、人間生まれ落ちた瞬間他者無しでは生きていくことはほぼ不可能です。

 

機械生命体/アンドロイドは行動を模倣し、アンドロイドは人を模して作られましたが人間も神の姿を模して作られたと定義し信じる人もいますが現実的にはよくわからないまま私達は知性と社会性と言葉を獲得し数千年生きて来ました。
「模倣」という行為は、最近ネットのあたまがよいとはいえない(オブラートに包んだ表現)人間たちには犯罪、倫理的に許可されない模倣と引用、オマージュの粋の模倣の区別がつかず糾弾されがちですが、模倣という行動はすごく大事なんですよね。という前提がこのゲームの根幹にはある気がします。

 

 


ディレクターのヨコオ氏は「常に何かをパクって、怒られない程度に変える」という冗談みたいな手法を公言しており模倣に対して肯定的なのが伺えます。
結局のところ「模倣したくない、オリジナリティがほしい」という欲求も全然新しくないってのはもう人間わかりきってるので、きっと模倣した上でなにか残るものこそが大事なものなのでしょう。


ヨコオタロウ氏というのはゲームの組み立てに合理的なものをこだわって作る節があり、RPGの定番である「狭い限られた世界の中で徒歩でいける範囲にある魔王の城」に対して「魔王はその場にいなければならない理由があり、作中の黒幕に都合よく作っている」と答えを出した点からもうなずける部分だなぁと自分は思っています。

彼女たちが本当に無駄なのか、生きる意味はあったのか。
そこは合理的な答えを用意しているヨコオ氏なので、意味はあったと定義して世に送り出しているものだと私は信じたいですね。

 

余談


アコールが名前しか出てなかったのと実はジャッカスが…というふうにあくまでニーアシリーズは人間の被造物であって更にその上位存在については触れてないのが物語を濁らせなくていいなって思います。あと散々SNSで言いましたがDOD3の駄目だったところが全部よくなってるのが本当に嬉しい。
一昨年スタッフ募集してたからきっと近いうちにまた発表されるでしょうし楽しみにシておきます。多分資料集とか読んでからほなまた……

 

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