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ダンガンロンパV3をクリアした

(全編に渡ってダンガンロンパV3及び関連作のネタバレ注意だよ!)

 

ダンガンロンパとの出会い

 
自分とダンガンロンパの出会いは約7年ほど遡る。
 
当時の自分は高校生でバイトしてゲーム買ってプレイして…を繰り返すただのどうしようもないふつうの高校生だったのだが、
ある時ファミ通で目に入ったのが何を隠そう初代PSPダンガンロンパの記事だった。
特徴的な厚塗りの絵、今時にしては選び方が特徴的な声優陣、正直言うとモノとしては外れやすいデスゲームのあらすじ…
これは買わねばなるまい、と。もっというと、自分宮田幸季さんのファンで。宮田さんが出てるゲームなんてネオロマ以外そうそう見ないので、これは買わねばなるまいと(二度目)
ちょうど秋口は引っ越しがあったので発売日から少し経った頃に購入しました(12月だったかな
 
熾烈に散っていく超高校級の才能たち。そうして待ち受けるとんでもないこの世界の答え。
それはそれはもうド肝抜かれたものです。
 
で、このゲームネタバレ規制が当時からされていたのですが(2017年現在は初代のネタバレなんて垂れ流しだろうけど)
「このゲーム凄いんだよ!」と自分もツイッターでそこらじゅうの人に声をかけまくりもう何人に買わせたかわかりません(言い過ぎ)姉もそのうちの一人です。
 
なので続編、アニメの一報を聞いた時はそれはそれは嬉しかったのを今でも覚えています。
それほど密にとは言えませんがそんなダンガンロンパと共に歩んだ7年間を嬉しく思います。きっとこのダンガンロンパと共にした7年間のおかげで、ダンガンロンパV3を楽しめたんだろう。
ダンガンロンパV3をクリアした時そう感じました。
 

私と貴方とダンガンロンパ

導入が長くなりました。
5月某日の朝方ダンガンロンパV3をクリアしまして、なぜだか鮮烈にダンガンロンパとの出会いを語りたくなりまして。
 
V3、とりあえず1章からド肝抜く展開で賛否両論の終わり…という事しか見ておらずネタバレ等は踏んでない状態な自分。
ただこの作品に関しては感性を外さない姉がV3を肯定的に捉えてたので、そこは姉を信じて…
 
ロンパに関しては事前情報で予想しすぎると痛い目見るのをわかっていたので、せいぜい声優情報くらいしか見てなかったんで、最初はキャラの名前もおぼつかなかったんですが
まあそんな状態で始めた2が最終的にみんな大好きだよ!となったので特に気にする事もなく…

 

5章まではもはやこのゲームにとってはあらすじ

 
冒頭はよくある上述トリックの形態、と気付くのは裁判始まってからでした。基本的に裁判進めながら推理するタイプなので…。
ただやっぱり本を整理するところとか、プレーヤーからしても違和感バリバリだったので。主人公がプレーヤーに「嘘」をつく。赤松楓が主人公だと「嘘」をつく。導入としてはなかなか切れ味の鋭いロンパらしさを突きつけられ、期待に胸踊らざるを得ませんでした。
 
ですがそれ以降はどうでしょう。
クリアして与えられたご褒美でエリアを開けて、クリアして取り戻したというか半ば与えられたカタチの記憶、キャラへの愛着は湧くには湧くんですが
単調でどうにも退屈で…トリックスターポジションの王馬がいたから誤魔化されてるけど、ここでどうしても惰性を感じてしまい。
思えばここで感じる惰性も計算されていたのかもしれませんね。
 

6章というダンガンロンパV3の核心

 
黒幕つむぎがこれはダンガンロンパV3、53回目のゲームだと宣いだす。
「外の世界には、ダンガンロンパを、殺し合いを愛する人がたくさんいる」
これは確かにゲーム内での「視聴者」でもあり「プレーヤー」にも向けられた言葉だ。こうビビッと直感的に感じ取りました。
 
つむぎはコスプレイヤーだから歴代のキャラ達でその世界の法則を説いてくるんですよ。
もうびっくりですよね。1が好きだから、2が好きだからプレイしてるであろう目の前のプレーヤーに、
「殺し合いが大好き!絶望と希望の鍔迫り合いは需要がある!そのために私達、お前たちは作られ消費される」
なんて語りかけてくるんですよ。そりゃあ一部のキャラ愛プレーヤーは逆鱗に触れるわ、と。
 
でもそれって限りなく事実なんですよね。
1で「殺し合いの末、信じていた外の世界は崩壊していて生き残りは希望を信じて戦い続ける」
2で「殺し合いは全てコンピューター上の虚構で、絶望の残党達はそれを根絶するために前に進む」
じゃあ、3はどうする?生半可なオチじゃ陳腐すぎるぞ?と。
けれどその1,2を踏まえると「全て虚構のメタ世界のデス・ゲーム」であり、更にそこから視聴者たるプレーヤーを否定しにくる時はもう笑ってしまいました。
 

キャラクターが訴える痛みという存在

 
自分達、少なくとも自分はダンガンロンパというゲームが「高校生が殺し合いをするゲームである」事を知ってプレイしています。
殺し合いである以上、フィクション上で誰かが死ぬわけです。悪趣味な事この上無いですね。
「誰が死ぬかな」「やっぱりこいつよりこいつが死ねばよかった」
こんなメタ的な感情も抱いた事が無いと言えば嘘になるでしょう。
それに対して、ゲームの向こうの彼らは"痛み"を訴えてきたわけです。
 
「自分達は、殺し合いの道具ではない」
「自分達にだって死んだ仲間を悼む気持ちはある。それはプログラムされたものかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
 
はたしてこの感情否定する事が、フィクションのキャラクターが大好きな自分に出来るのだろうか?
キャラクターを尊重すればこそこの放棄も1つの答えなんじゃないだろうか?
 
「絶望する事も許されず、希望を持つ事ですら他人の娯楽になる」
これはもう、まさにダンガンロンパを愛する自分に突きつけられてる事実。
希望を持って誰かが生き残り、そのキャラが超高校級の生き残りとしてV3内の物語は続いていく。
現実世界のダンガンロンパで言うなら、1から2、2からV3といったようにキャラを変えてゲームが出てダンガンロンパは続いていく…
シリーズファンなら、それは嬉しい事かもしれない…
けれどキャラクターが文字通り「命を賭けて」それを訴えてきたのなら、我々プレーヤーは受け止めるべきでは無いだろうか…
 

ゲームの舞台装置として組み込まれたプレーヤーの存在

 
それと同時にこのゲームはプレーヤーがシリーズ初めて「ゲームに組み込まれている」
我々プレーヤーのアバターは赤松楓でもなく、才原終一でもなく、キーボくんでもなく、最後に出る「視聴者」として存在する
一度ゲームはBADENDを迎えたこのゲームを救済したい、と願う演出もこう考えると憎らしい。プレーヤーが続きを見たいと思えば、続くが選択権は才原達には無い…。
 
この「視聴者」は「殺し合いを楽しむ悪辣な存在」として確かにV3の中に存在している
「殺し合いを楽しむ悪辣な存在」である私達が、このゲームの中に存在するのだ
ダンガンロンパという世界の中に!私達ユーザーが存在するのだ!!
もうこの事実だけでファンの自分には垂涎ものである
 
それどころかキャラクターがプレーヤーを否定してきた!!
イカれてますよ。金出して娯楽を買ったら、登場人物に説教されるんですもん。
でも自分は才原の説教を否定できないんですよね。
彼が彼らがどれだけ苦しみときに諦めかけながらコロシアイを生き抜いて来たのは他ならぬ私達プレーヤーが見てきました。
 
でも個人的にこの「否定」に関してなのですが、才原達の否定は何も決してプレーヤーだけに向けられた物では無いと思うんですよね。
キャラで言うなら白銀つむぎ…つまりこのコロシアイゲームを作っている制作陣をも否定してる事になります。
白銀つむぎはある種制作陣のアバターであると私は考えているのですが、そのつむぎも同様に最後におしおきされているんですよね…。
つむぎのあのなんとも言えない顔、忘れられません。
 
キーボくんがぶち開けて才原達三人が向かう場所は一体どこなのでしょうか。フィクションの、嘘の向こう側。
 

次回作について

明確にこれで終わりです!という描き方をしたわけじゃないので断定は出来ないですが、もうこれで終わりかな、と。
あの最後を世に送り出しておいて続きが作れるってのならそれはそれで見てみたいですが…。
ダンガンロンパというゲームが切り開いた荒野を、スーパーダンガンロンパ2が舗装し、絶対絶望少女や他派生作品が更に発展させた道を滑走路にしてダンガンロンパV3という作品は、もはやプレイヤーどころか制作陣にも届かない場所に飛び立っていってしまった。そんな虚無感があります。
さよならダンガンロンパ
今までありがとう!
 
今度PSP版あるからって買って無かった1,2リロード買い直してプレイするか!
まだ一周しかしてなくて混乱していますが、思わずアツいものがこみ上げ感想を書いてしまいました。
チームダンガンロンパの皆さん、素晴らしいゲームをありがとうございました!