「冥界のメリークリスマス」感想。エレシュキガルという女神について考える

 

目次

 

1.初めに

 

率直に言って私はエレシュキガル、可哀想な女神だと思います。ですがそれはエレシュキガルという陰気な仕事を押し付けられた女神が可哀想ということではありません。それをこれから書いてきます。このイベントが終わってからずっと疑似サーヴァント、エレシュキガルという存在について考えていました。まず大前提として、

 

遠坂凛という人間のキャラクターがいる

・エレシュキガルという神様がいる

FGO以外の時空では当たり前だがエレシュキガルに凛の要素は混じらない(以下、この通常エレシュキガルを便宜上神エレシュキガルと呼びます)

FGOのエレシュキガルはFGOの時空でしか発生し得ない

 

という四点を念頭においてください。

 

2.Fate世界の神とは

 

Fateの世界において神とは何か。明確にこれ!という定義が無いまま疑似サーヴァントとして神が描かれているのがややこしくしているんだろうなと思います。現状出ている情報は大まかに並べると以下です。

 

・(多神教の場合)それぞれに役割があり権能と呼ばれる人から見たら規格外の力を用いる

・おそらく元は人の形をしていない(マテリアルのオリオンのイラストレーターコメント曰く)

・神の倫理観があり人間は割りとどうでもよいが、人間に信仰されることが神の力なので信仰する人間が消えても困る

 

 

3.エレシュキガルという女神

 

エレシュキガルは、7章メソポタミアの巫女の手によって遠坂凛依代としてイシュタルと共に召喚されました。これによってイシュタル、エレシュキガル両女神に人間の要素がまじりました。

イシュタルは元の人間の要素は三割、依代となった少女は相性が良い、と話しましたがではエレシュキガルはどうだったのでしょう。おそらく、あまり良くないかイシュタルほどでは無いんじゃないか、と思います。

 

個体

神エレシュキガル

遠坂凛

エレシュキガル

ハード(能力)

人間

ソフト(内面)

人間

人間(ないし人間+神)

 

すごいざっくりと表にしてみました。

神エレシュキガルは、神の体で神の権能を奮い冥界の女主人としての役割をこなします。遠坂凛は人間の体で人間の魔術師として生きたキャラクターでした。

ではエレシュキガルはどうなのか。

権能としては神のまま(少なくとも七章時点で)ですが外見的特徴として遠坂凛というキャラクターの影響を受け、ソフト面で遠坂凛を通じて人間の倫理観を得ました。ここ、すごい重要です。

神という役割をこなすのに人間への倫理観は必要ありません。どう考えても余分です。

それでもエレシュキガルは神エレシュキガルと同じ役割をしなければなりません。まず召喚された状況下で人間を守ろうという意思から彼女はまず三女神同盟に与しウルクの敵として静かに人を守ることを選択しました。その他バビロニア後半に女神の禁を破る重大な冥府の契約違反をしたことで今回のイベントに繋がります。

 

4.本来のエレシュキガル

 

「ほう?耳障りな羽音がするかと思えば、

憐れな女神がいるではないか。」

「私の爪先にも満たぬ姿でよく鳴くものよ。

どれ、一息に摘んで潰してやろうか。」

 

「……私は貴方たちの知るエレシュキガルではありません。

失墜した冥界の女主人です。」

「遠い異邦からの魔術師よ。

その痛快な冥界下り、確かに見届けました。」

 

七章の大型ガルラ霊として現れたエレシュキガルと、冥界のメリークリスマスにて顔の腐り落ちたエレシュキガルの台詞です。

前者は居丈高な女神の、後者は丁寧語でどちらもなのだわ等特徴的なエレシュキガルの口調とは打って変わっています。これらの台詞にはどちらもエレシュキガルの通常使われている立ち絵は使われていません。この演出からおそらく、神エレシュキガルから出た発言と仮定します。

神とは多面的なものであるというのはこのイベントや他のイベントでも描写されています。なので、口調があからさまに違うのは特にそこを描写したいのでしょう。

そしてどこから遠坂凛の要素が混じったのか切り分けるのは困難を極めますが、この2つの描写から「違う世界に憧れを抱いているが、自分の役目に真面目」という部分はおそらく神エレシュキガルにも備わっていたと思われます。ギルガメッシュも言ってましたね。

たぶんですが人間を愛していたというのも神エレシュキガルの頃からあったのではないかと思っています。ただ、神エレシュキガルはあくまで神の倫理観に生きているのでそれが語る「愛」はおおよそ人間の言う「愛」とは程遠い、ということは似たような指摘がオリオン(アルテミス)の幕間でもなされています。

 

 

5.FGOエレシュキガルという存在

 

神エレシュキガルは疑似サーヴァントとして人間の倫理観が混じり合い、抱いていた「愛」はダウンサイジングされ比較的人間の理解できるものになりました。同じ状況にいたとして、エレシュキガルではなく神エレシュキガルが七章以前のメソポタミアにいても同じ行動は取らなかったのではないかと自分は思います。

つまるところ遠坂凛、人間の倫理観が交じるということは指向性を持つということになります。

 

「それが私の選択。

女神エレシュキガルが選んだ、初めての自分の意思。」

 

「この記憶が貴女にとってかけがえのないものなら、

貴女もきらきら輝くはず。」

「いと気高き冥界の女神よ。

かつての貴女は、太陽というものを知らなかった。」

「輝けるものを知らなかった。

自らの憧れを知らなかった。」

 

 

神エレシュキガルはエレシュキガルとなることで初めて自分の意思で選択するという指向性を得ました。具体的に同じ人物を依代とした姉妹神であり別側面(とFateでは描かれている)であるイシュタルやカルデアの人間たち、主人公を見て輝けるもの、自らの憧れを知りました。

 

「私は気の遠くなる時間、ここで死者の魂を管理してきた。

自分の楽しみも、喜びも、悲しみも、友人も―――」

「何もないまま、

自由気ままに天を翔る自分の半身を眺めてきた。」

「その私に罪を問うの?

今さら、魂を集めるのは間違っていると指さすの?」

「ずっと一人で―――この仕事をこなしてきた私の努力を、

誰も褒めてはくれないの?」

 

当たり前ですが神エレシュキガルがエレシュキガルとなったのは七章バビロニアの少し前からです。この記憶や冥界のメリークリスマスで語られているような過去はエレシュキガルが語っていますが、その実神エレシュキガルが機構としてこなしていた事実を、エレシュキガルが過去として省みた事実から出た感想となります。ですがそれは偽物ではなく、紛れもなく彼女が持ち得る本物の記憶なのです。本来の神エレシュキガルがどれだけこの抑圧した感情を抱いていたか、流石にわかりませんが。

彼女が語るように人間の倫理観からしたら、それはもう寂しい寂しい時間だったと思います。だからこそぐだに「エレシュキガルは、悪くない」と言わせたかった、同意を求めました。

 

エレシュキガルという女神は、神の権能を持ち神の役割を持ちそれを行いながら、偶発的に得てしまった人間の倫理観、依代となる人間の持つ指向によってロジックエラーを起こしていました。ハードは女神なのに、ソフトに人間という不純物が入れ混じったから。

 

イシュタルは依代の少女と意識は溶け合い全く新しい女神になったが、これもひとつの自分と受け入れました。もともと彼女には戦いの女神、豊穣の女神という矛盾する側面があったからロジックエラーに適応しやすかったんですかね。

しかしエレシュキガルは、冥界の女神という機構に合わせて生まれた精神には遠坂凛という少女のカタチは眩しすぎたのでしょう。冥界の女神という役割に最適化されたソフトに、人間の倫理観、寂しさは必要ありません。そうしてその不純物は七章後、エレシュキガル自身の手で切り離されました。

 

 

6.エレシュキガルが切り離そうとしたもの

 

「自らに与えられた責務。それを嘆くことはよい。

放棄して違う道を探す事もよい。」

「だが―――逃げずにこなし続けた己が責務を

卑下する事は悪であり、」

「その苦しみを賞賛する事は、

何より貴様自身への侮辱に他ならない!」

「賞賛されるべきは貴様のなした偉業!

貴様の心の苦しみは貴様だけのもの。」

「他人である以上、貴様の傷は理解できない。

だがその仕事は尊敬に値する、と……」

「○○は、おまえにそう言ったのだ。」

 

「……そうね。女神の誓約を破った私はこの依代

失って、もとの陰湿な私になるつもりだったけど……」

 

彼女は冥界のメリークリスマスで依代となる遠坂凛を切り離し、役割、機構の具現化である神エレシュキガルに戻ろうとしました。

それは神エレシュキガルではないエレシュキガルが、エレシュキガルとして過ごした日々、バビロニアで主人公と語り合った夜、人間的倫理観で弱音を吐いて主人公とギルガメッシュに正され賞賛されたエレシュキガルという不要物が混じり歪な、それでも成し遂げた女神という自分像を自ら否定する行いに等しいのではないでしょうか。本当にエレシュキガルに対して失礼だったのは主人公じゃなくそれを行おうとしたエレシュキガル自身なのではないでしょうか。

 

「でも、それでもいいわ、私。

私は『今の私』が好きなんじゃなくて、」

「あの人間の在り方が気に入ったのだもの。

アイツが変わらなければ、それでいい。」

「それに、アイツが私を覚えていてくれるなら、

必ずまた会えるわ。」

「それを知っているから、私はここで、

私の全てを投げ出せるのよ。」

 

神にとっての不純物を切り離したことで彼女は最後に自分が望んだ願いさえも忘れ去り、因果なもので自ら忘却の疫病を飛ばしてしまいます。マーリンが言いましたけどなんとも悲しい話です。

少なくとも主人公だけは、エレシュキガルと二人きりで過ごした夜の思い出があります。それをかけがえ無く思えばこそ、捨て去ろうとするエレシュキガルの陰気さ真面目さには一言小憎い小言でも言ってやりたくなるのが人間というもので、そこから出たのが「冥界なんてどうでもいい」だったのではないか、と思います。

エレシュキガルがエレシュキガルとして行ってきた崇高な偉業を、思い出を、冥界のために消してしまうのか?という問い掛けなんです、多分ここ。

 

逆にこれを否定するとなると「エレシュキガルは役割がある。その役割に不要な依代の混じったエレシュキガルは殉死して然るべき」という風になるのでこっちのほうが畜生度高いです。

ただ物申すマンしにいった主人公が、何か策があった訳では無いんですよねって思うとあの時ドゥムジが記憶持ってなかったらどうするつもりだったのかはまあ謎です。ちょっとご都合主義だなと思うのはここくらいですかね。

 

 

7.エレシュキガルは可哀想か

 

そもそもとして役割の化身である神に人間の倫理観が混じってしまったことがどうしようもなく悲劇で、エレシュキガルの何が可哀想かといえば、イシュタルとの連鎖召喚によって人間の依代を得てしまったことではないでしょうか。

けれども偶発的な事象とはいえ人間に近い一面を獲得した彼女は、そのおかげでカルデアの力となりバビロニアを救うことが出来ました。彼女がいなければティアマトは倒せませんでした。

(偶発的に人間らしさという不要物を得てそれが話に繋がる、というのはアルクェイドに通じるところがあると勝手に思っています)

 

疑似サーヴァント、エレシュキガル。

他の世界では存在せず、運命のいたずらで発生し、あやふやで不確かな存在。ですが彼女なくして人理の修復は不可能で、ぐだにとっては大事な旅の思い出の1つです。そんなエレシュキガルが自己否定し消え行く中で、プロローグでマシュの手を取ったように、アルテラと共にエレシュキガルの手を取りに行き、「神エレシュキガルではなくあの時のエレシュキガルのままでいてもいい。君が捨てようとしているものは不要物ではなく、君と自分にとって大切なものだ」と肯定しにいく。…というのが「冥界のメリークリスマス」というイベントなのではないでしょうか。

 

「どんな冒険を過ごしても、他人に染まらず、

自分の感じた正しさを信じられるアナタでありがとう。」

「ええ―――私にはそれが、

どんな高価な贈り物より嬉しいのです―――」

 

不肖ながらエレシュキガルの言う主人公の正しさが何なのか、この文章で伝わるといいなと思います。

 

 

余談。

実はこのイベント最初にクリアした時、情報量はあるけどそんなに面白いシナリオだとは思えませんでした。おそらくそう映っている人は少なくないんじゃないかなとは今も思います。

不満点として、おそらくきのこないし開発陣のこだわりとして本当に一年後にこの話を持ってきたことでユーザー側の七章やエレちゃんに対する熱が醒めきってしまったこと。サービスインからいたアルテラがFGOでメインになるのに、エレシュキガルのオマケ扱いだったこと。(月にまで言及して繋げるのはFGOでアルテラを描くことを放棄しているとも取れるなーなんて)(そもそもとしてここまで書いといて砂をかける訳じゃないんですがアルテラはEXTELLAのショックがあってそこまで好きなキャラじゃなかったんですよね…好きな人はごめんなさい…今はそんなじゃないです)

でもなんでサンタがアルテラかって、やっぱメソポタミアの神々に喧嘩売りに行くなら彼女以上に適任なサーヴァントはいないんですよね…実際…。

 

ネルガルや原典との違いについては、スタート地点が原典だとしてもそこに創作、フィクションを混ぜるのが創作物ひいてはFateの面白さなので特に私は気になりません。ネルガルについても、神でなくても人や英霊は多面性があり角度を変えれば万華鏡のように違う一面がある、というのは奈須きのこ先生の持ち味のひとつですし。

契約結婚だなんて言ってるけどそもそも神は先述のように人間のカタチをしているかかなり怪しいですし、そんな概念の塊みたいな存在の結婚という価値観をそもそも人間の価値観で語っていいのか?みたいなところが個人的にあります。あくまでギルガメッシュからの評価でネルガルとエレシュキガルの関係において契約結婚というのは全ではなく一であり、ドゥムジが語った友という評価もこれまた全ではなく一なんだと解釈してます。

 

エレシュキガルに対して人間扱いをするのは不敬だなんだとの声もありますが間違いなく最低でも推し量るにイシュタルと同じく3割は人間が外見と中身に入り込んでしまったモノなので、その影響は少なくないんじゃないかと思います。

3割、割合として少なく見えますが、仮に液体で例えるなら塩分濃度3割って海水の10倍であの有名な死海クラスです。ガソリンに水を混ぜて3割水になったら本来の用途として使い物になりません。(ならないよね???)

3割ってこうして考えると大きいです。

なので人間の倫理観が混じっているのだから人間扱いするのは悪いことではないし、かといって神扱いするのも間違っては無いのではないかなぁと思います。

 

ただやはりマーリンの行動や台詞なんかに2部を思わせるものがあってワクワクするしいろいろ忘れてるからバビロニア読み返すか…と、読み返して、疑似サーヴァントとは何なのか、等々考えて自分なりに飲み下せたのでなんとか言語化しました。

誤字脱字あったらごめんなさい。これを読んで、冥界のメリークリスマスの見方がよいほうに変わったよって言って貰えたらほんのちょっぴりうれしいです。

 

以下絆礼装文についてのネタバレです。

FGO世界でのエレシュキガルは神エレシュキガルではなく、主人公に救われたエレシュキガルの身のまま神代の終わりを迎えます。運命も役割もそう大きく変わらない、けれど最後にエレシュキガルが見たもの感じたものが絆礼装のテキストとイラストに描かれています。気になる方は是非検索してみてください。

デスティニーチャイルドはじめました

文字通り。デスティニーチャイルド、はじめました。


『デスティニーチャイルド For DMM』公式PV

 

デスティニーチャイルド、通常デスチャとは11月末に配信されたソーシャルゲームです。なんですが、致命的なレベルで周りにやってる人がいないので記事書いてみる事にしました。読んでインストールしてもらえるとは思って無いですが、一応。

元は韓国で一年前にリリースしたゲームだったそうですが、割りと早い段階で日本語版が噂されていたとかなんとか。

 

魔界の新しい魔王を選ぶ戦いの中、魔王候補生の一人として選ばれた主人公が悪魔を使役するため統制奔走する…というストーリーなんですが、とりあえずプレイしててイイナと思ったところ

その1.ストーリーフルボイス

ちょろいオタクなので声がついてるだけで嬉しい。

なんと主人公にまで声もバッチリついてます。しかもこだわりがあるらしく、こういうゲームで多い兼ね役がほぼいないみたいです。

現在やっているレイドイベント、ラグナブレイクのイベントストーリーもフルボイス。欲を言うならキズナエピソードもフルボイス欲しかったけど数考えたらさすがにキツイですね。

割りとノリがゆるいので深夜のラノベアニメ見てる感じです。

 

その2.ものすごい勢いでガチャが引ける

おそらく今私が触ってるゲームの中で一番ガチャ引かせてくれると思います。

このゲームのガチャ10連に必要な石は1900なんですが、デイリーこなすと200石が貰えます。単純計算で10日です(厳密にいうと連続ログボもあるから8日らしい)

更にランクアップやストーリーでも石がもらえるから体感では5日に一回くらいは既に石が溜まってます。

 

ガチャの確率はSR15%、SSR1%とどっかのFGOみたいな感じですが、SR確定枠もあるし課金星5確定とかSSR確率3%アップキャンペーンとかやってるから、なんというかFGOもこのくらいだったら許せるな…程度には意外と引けてます。

 

このゲーム、召喚ライブというフレンドに今からガチャを引きますって通知がランダムにいって公開処刑みんなで楽しめる召喚機能があります。多分YouTuberにはいい機能なんじゃないかな?もちろん双方にメリットあります

 

その3.アプリゲームとして完成度が高い

Live2Dが使われてるんですがびっくりする位軽いです。FGOよりシノアリスより軽い。

ミッション達成もポポっと音がして左上にポップアップが出て、それをクリックすると小窓で取得できるので煩わしいローディングが無い。

多少立ち上がりのロード時間が長いですがそこはシノアリスも似たようなものなので。とにかく軽いしUIがいいです。

シノアリスは色合いはシックなんですがまーローディング煩わしい重いし尚且つ誤タップ多いしでストレスフルになるんですが海の向こうの技術すごい。

 

今巷で話題のアズレンのようにマルチデバイス対応、尚且つDMM版が来年頭に出るみたいです。オート放置とかはパソコンで出来るなら楽ですね。

しかしこう考えると日本のゲームがマルチデバイスに対応しない理由てなんなんでしょう…ユーザー目線だと便利なんだけど。

 

その4.バトルが結構楽しい

リリースしてすぐですがストーリー、曜日イベント以外に

・レイドボス(イベント)

・踏破型ダンジョン(ペル○ナ3のタルタロスみたいな…)

・疑似PvP(艦○れ演習みたいなもの)

等々、結構色々コンテンツがあります。

同じ戦闘でも目的が違えばユニットに活路見出せるしいいですね。ちょっと育成が大変だなと思いますが、目標としてはいい感じ。だがレイド、てめーはちょっと次はどうにかしてほしい

 

オートと連続バトル積んでるので、適当に設定して風呂入ってる間に曜日周回とかしてくれて最高です。FGOに欲しいこの機能…(小声)

 

その5.ビジュアル面が強い

これが個人的に一番。

Live2dの動く度合いがバンドリ、シノアリスとは比べ物にならないです。見てもらうのが多分早い。

メインクリエイターのキムヒョンテさんという方がディレクションされてます。「マグナカルタ」「ブレイドアンドソウル」とかが有名ですね。

厚塗りの、ムチッとした絵が特徴的で私はもうすごい大ファンなのです。この厚塗りの絵がLive2Dで見ての通り動くのが凄い…。

いやもうこの記事読んだ人アプリインストールは兎も角としてこの方の名前だけは覚えて帰ってってくれよな!!

 

さて良いところも書いたところで触っててここは…と思った部分

・イベントの調整に難あり

現在クリスマスレイドイベント開催中なんですが、一発殴って100とかしか貰えないコインだけど報酬は万必要!とちょっとバランスが悪くて修正されました。

ただまだレイドイベントについては改良の余地ありかと思います。韓国では10月、日本では11月にリリースされたのでこの微妙な差の調整でミスったっぽいです。クリスマスだから今イベントやるしかないもんな…

 

・フレンド機能について

フレンド、使うと枯れてくパズドラのような感じなんですが、一定時間経たないと復活しないのでちょっと攻略が辛いですね。せめてログインし直して復活してくれー

 

・進化がめちゃくちゃに面倒くさい

このゲーム、FGOのようにどんなユニットでも最大レアリティに育てることができるんですが、ちょっとFGOとはその用途が違うんですよね。

一体進化させるにつき、同じレアリティのキャラを食わせないといけないのです。レアリティの数分。

つまり星3進化には星3を3体、星4進化には星4を4体、星5の進化には星5を5体食わせないといけません

進化用のモンスターもいますが自由に取れるものではなく、基本的に星2,3くらいのモンスターを星4,5にして進化素材を作るという肯定が育成のキモになってきます。

 

別に書かなくてもわかると思いますが面倒くさいです

パズドラの覚醒のために降臨育てて食わせるも大概に面倒くさいのに何故真似したし…。

 

基本的にこの最後の進化のためにゲームをやることになるので、これ面倒って人は絶対続かないですね。緩和してくれないかなー

割りと運営の中の人曰く意見によって改善しようというやる気はあるみたいなので、うまく拾い上げていいゲームにしていって欲しいですね。

 

又聞きなので本当かはわかりませんが、韓国版はちょこちょこ炎上も経験して今ハイパーインフレしているらしく、ゲームとしてうまいバランスを日本版で仕切り直ししたいのでは無いかという話が。

実際ソシャゲって一旦リリースしてしまったら簡単には調整できないですもんね。場合によっては消費者庁コラボになっちゃいますし。かといって完全に生物なので離れたユーザーはそうそう帰ってこない24時間365日のゲーム。

こうして日本が後発のゲームを触って色々勉強になりました。たまにはこういうのいいですね。ではでは

Fateオタクの読書感想文【4】「聖書物語」

 

聖書物語 (岩波ジュニア新書 (56))

聖書物語 (岩波ジュニア新書 (56))

 

 

 

タイトル:聖書物語(岩波ジュニア新書)

著者:山形 孝夫(著)

関連するFateキャラ:ダビデ、ソロモン、モーセ、ミドラーシュのキャスターなど

 

読みやすさ★★★★★

面白さ★★★★☆
おすすめ度★★★★★

 


みなさんは聖書って読んだことありますか?
意外と読んだことある人もいるかもしれませんが、私はありませんでした。

夏ごろにちょっとしたキッカケがあって「外国の人は聖書読んでる文化圏の
文化を元にして作品を作っている人も多いから、その思想に寄り添うなら聖
書くらいは読んでおくべきだなぁ」と思う機会があり、オススメの本を聞い
てみたところこちらの岩波ジュニア新書の聖書をオススメされました。

 

西洋絵画なんかは大半が宗教画だからこれを読めばどのシーンを描いてるも
のなのかとか、Fateで言うなら上に挙げたキャラ達の出典作品でもあるし、
FGOをするなら必須とは言いませんが読んでおいて損はないのかなと思いま
す。
(現にセイレムで聖書に関連する部分が出てきたわけだし読んでおいてよか
ったなと思った)

 

 

厳密には旧約聖書新約聖書とかあるわけですが、この本は両方のとりわけ
物語性の強い部分を主に抜粋して詳しく書かれています。
ありがたいのがこの本、各章の最後にノートというページがあり、この部分
どういった意図で書かれているだとか「読み方」を指南してくれる部分が
あるのがぺーぺーの初心者には助かりました。

ページ数も多くは無いですしさっくり読めると思います。
ただあらすじを知ってる人にはもう少し踏み込んだ内容の本の方が向いてる
のかな。あくまで「とりあえず聖書読んでみたいんだけど面白く無いのは嫌
だな」くらいライトな層向けだと思います。


聖書入門編に是非。

セイレムのサンソンの描き方を通して英霊の第二の生を考える


亜種特異点Ⅳ 禁忌降臨庭園 セイレム TVCM

セイレム。サイコーでした。話についてアレやコレや言いたいことはあるんですが、まだ読み返しきれてなくて今語るとガバつくのでこれは置いておく。

※セイレム及びFGO一通りのネタバレに注意です。

 

今回セイレムでサンソンは一度英霊として死に、そして再び召喚されたけどその記憶はありません。これについて賛否あるのはわかります。ですが個人的に物凄く好きです。なんとか頑張って言語化します。
大変申し訳ありませんが私はサンソンマジオでは無いのでもし不備があったらごめんなさい。ユルシテ!

 


まずfgoのサーヴァントというのは他作品のサーヴァントと違って人理焼却を阻止するという目的の為に呼ばれて、帰属をカルデアに同じくしてどんな宗教、人種、過去、自分が殺し殺された人間に会おうとも、私情を出すことは二の次になります。ここは聖杯にかける願いは叶えられる場ではなく、それ含め大義のために個を剥奪されます。それ自体はいいんです。

 

けれど彼らも同じ大義を与えられた超越存在になった分、気心軽くなった者もいるわけで、円卓の騎士は殺し殺された仲だけれど死後は囚われず軽口を叩ける程度に仲は良い、というのが10月配信された円卓キャラ達の幕間です。

 

 

しかし逆に超越存在になったからこそ囚われてしまった者もいます。しかも一人ではありません。

 

そう。1.5部の不夜城のキャスターことシェヘラザードです。

 

彼女は英霊という超越存在は、人に便利に使われては死ぬだけの存在で何度も死の恐怖に怯えるのは嫌だ、と英霊召喚というシステム自体を成立させなくする為に魔神柱と手を組みました。

そんな彼女があんなバカバカしい説得に絆されたのはなぜか。


それは身勝手ながらもフェルグスの言う生き方に、もう1つの生というものに憧れを抱いてしまい、ほんの一握りでも傾いてしまったからには今あるサーヴァントの自分に死ぬ以外の目的が生まれる「可能性」を肯定する事になるからです。
(こう…うまく表現できなくてごめんなさい…)

サーヴァントとしてそう思ってしまうという事は生前あり得た可能性の1つなわけで。

 

サーヴァントとして生きて違う生を歩みかけがえのない何かを得る=それは生前あり得た可能性のひとつ=死後の英霊は成長もせず連続性は無いが、その事実は存在し逆説的に座の側がそのように修正される?

 

という事の肯定になる…と私は考えてます。
これがまず前提の話です。ガバいのは承知だけど許して。


そうして本題、セイレムのサンソン。
サンソンは元々、死刑執行人という決められた仕事に従事する為に個を剥奪されていました。彼は生前においても生きながら大義の目的に動くだけの道具でした。こう書くとおよそFGOにおけるサーヴァントの役割と変わらないですね。
そうしてFGOでサーヴァントとして召喚され、自分が殺したマリーがカルデアにいるもののずっとその罪や罰については触れられて来ませんでした。じゃあ円卓のようにわだかまり無く接する事が出来たのかと言ったらマテリアルみる限りそうではない。


そしてサンソンはセイレムで自分のように囚われた少女、ラヴィニアと出会い、処刑されゆく人々を前にして、これを千載一遇の好機としてマスターの判断に異を唱えて行動しました。
ここ。ここでサンソンは今までのただの目的の為の道具としての自分を否定しここでようやく個を獲得しました。
この行動周辺に関してはサンソン好きの皆さんが色々考察されてるので割愛します。

 

 

サンソンはどうしようもなく「罪による死という罰」を求めていたんだと思います。自分で自分をそう定義していた。セイレムという環境が彼にとっての聖杯のような物で、言い方が悪いけれどそれをマスターより優先させたのかもしれません。少なくとももう人理焼却という大義は失われていて今の目的はその後処理で、どの程度サンソンが大義を感じていたかはわかりません。

大前提としてサンソンの価値観に「死ぬ事でしか救われない者・罪はある(それが自分だ)」というのはあるんじゃないかなと思ってます。だからその価値観に寄り添わないとサンソンが酷い男に見えるんじゃないかな…多分…。


そうしてサンソンは望みどおり罰による死を迎えました。
それは無駄死になのか?と言えば前述したように否であるといえます。
サーヴァントとして得られたかけがえのない体験は事実である限り肯定され、逆説的に座に影響を及ぼす。
だからエピローグで、処刑人(の行い)という自らが定義する罪から解放され一人のフランス人男性としてどこか吹っ切れたサンソンがマリーをダンスに誘えたし、最後のセイレムの事を覚えていないけど前とは違うサンソンがカルデアにいた、と自分は思ってます。

 

 

FGOでは基本他世界の記憶保持してるサーヴァントが多いから既出サーヴァントについては割愛しましたがアルトリアについても似たような事いえますよね。

本来はセイバールートで英霊とならないけれど、それはかけがえない体験として座に累積した上で他時空で英霊となる事を選んだ彼女にもそれが含まれている。

静謐の…については私蒼銀読みかけなので断定的な事は言えませんが、そもそもとして願いを得た静謐は、生前の可能性では無く逸脱してしまうので座には保存されていてもその部分はFGO静謐にアウトプットされてないのかなみたいな。自信無いのでここちげーよって言われたらすいません勉強不足なので許して。

 


自分でも書いてて「いやここは苦しいでしょ…」と思わんでもないガバついた話なのでここまででお願いします。


要するに大義の為に呼ばれたサーヴァント達にとっても、FGOという世界は意味あるものであるといいしそれは決して無駄じゃない!という事を言いたかったんです
英霊の座はそんな機能ないぞバーカバーカってヤジはハイすいません!私の目にはFGOはこのように都合よく見えてるだけなので捨て置いてください!以上!終わり!閉廷!解散!

君はタイナカサチというアーティストを知っているか?―――Fateメディアミックスの立役者の再来という喜びによせて

11月某日Twitterにて

某さん「ジェネオンのミュージックフェス、タイナカサチ来たら行かないとなぁ」

自分「(へージェネオンそんなのやるのか。やなぎなぎとか来るのかな)いやーそんなの来たら絶対行かなきゃじゃないですか!まあ無いと思いますけどね笑」

 

 

11月8日、一部Fateファンに歓喜が巻き起こる。

それはタイナカサチさん(以下敬称略)こと現タイナカ彩智という一人の歌姫が表舞台に帰って来るという吉報。

おそらくFGOをメインに楽しんでいる層にはタイナカサチって誰だ?」という感覚だと思うので、そんな方々への紹介にとこの記事を書きなぐります。

要点をここで言うと「ものすごく貴重な機会なので絶対に今からチケットを取れ」という話ですが、よろしければその理由が気になる人は最後まで読んで頂けると幸いです。

 

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